目覚め・悟り・覚醒体験

ついさきほど、初めて俗に言う目覚め?悟り?覚醒?のような不思議な体験をしましたので、その忘備録として文字で書ける範囲で、表現してみます。

なんとなく、こんな体験をすることもあるんだなぁくらいの気楽な気持ちでご覧くださいね。

目覚め・悟り・覚醒などに興味のある方の参考につながりましたら幸いです。

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目覚め・悟り・覚醒体験の感覚について

まず、これが本当に、目覚め・悟り・覚醒体験なのかは、いまだに良く分からない部分もありますが、私が今まで読んだり聴いたりしてきた覚者さんたちの体験談やお話からしても、おそらくその体験と言って間違いないと思われます。

その体験を、一言で表現すると「無」です。

今まで自分だと思っていた、名前や形、存在自体が消えてしまった感覚。

そして、何も無い空間に、ただ外の通り過ぎる車の音、人の声、スピーカーから流れる音、他の部屋の物音などが、現れては消えて行くその繰り返しでした。

音が、無から現れて、無に消えて行くそんな感覚でした。

でも、それを聴いている個人的な人はいない。

ただ単に音が現れて消えて行く、そして、また別の音が現れ消えて行く、その繰り返しでした。

ちなみにその時私は、イスに座って目をつむっている状態でした。

ですので、特に音に意識が集中したのだと思われます。

目があかない?

そして、そのまましばらく動けない、動きたくない状態が続きました。

そのまま、ただただ音が現れて消えて行く繰り返しの感覚にひたっていました。

そして、しばらくするとふと目をあけてみようという衝動のようなものが起こってきたのですが、どんなにがんばっても目があかないのです。

おでこやほほの筋肉は上下に開こうとしているのですが、肝心の目がはりついたようにまったく開かないのです。

しばらく開こうと格闘してみても、一向に目がひらく気配がありませんでした。

そして、一旦目をあけることを諦めました。

でも、また目を開けたい衝動が湧いてきました。

でも、また目はあきませんでした。

それを3回くらい繰り返して、ようやくうっすら外の明かりが見える程度に薄目が開きました。

でもまだそこからは開きません。

そして、目を開くことを完全に諦めて、今のその音が現れて消えて行く感覚に身をゆだねてみました。

そうすると、しばらくすると、スッと目が開きました。

そして、もちろんそこから見えた景色は、その体験前と何も変わってないのですが、完全に個人と言う感覚が薄れた、なくなったような感覚で、眺めている状態でした。

目覚め・悟り・覚醒体験とは何なのか

この体験から、目覚め・悟り・覚醒とは、自分が無くなる、そして他人という感覚がなくなる、なくなるというより分からなくなる感覚かもしれません。

自分を忘れる、人というものを忘れる、そういった枠がなくなるといったイメージです。

それが実際に体験した、私(もはや私という感覚に違和感がありますが)の感覚、感想です。

これは、当院でも行っている操体法という施術法による気持ち良い感覚をはじめて深く味わった時に似た感覚がありました。

ただ、操体法の場合、圧倒的な気持ち良さに包み込まれる感覚があるのですが、目覚め・悟り・覚醒の体験は、無に気づく、無から現れては消えて行く存在に気づくという、さらに言うと感覚や気づくというより、ただ無に還る体験をするそんなイメージです。

その体験の最中に見えてきたビジョンが、自分がまるで生まれる前の子宮の中にいる感覚になり、さらにそこからどんどん時間が巻き戻り、受精卵のような状態になり、最終的には無に還ったそんなビジョンが見えました。

一瞬「このまま自分は死ぬのかもしれないなぁ」「でもそれでもいいなぁ」なんていう感覚も湧いてきました。

でも目があいた時には、生きていました。

そして「ああ、まだ生きていたんだ」「よかった」という感覚が湧いてきました。

正直なところ「もう生きていても死んでいてもどっちでもよかった」そんな感覚すらありました。

でも生きていたので、こうやってその体験を文章に書くという衝動が起きてきて、実際に書いてみています。

具体的なきっかけについて

私が、この体験をしたきっかけは、ある本を読んでいた時でした。

それは「覚醒の炎-プンジャジの教え」というインドの覚者パパジことプンジャジの対話録を読んでいた時でした。

この本を100ページくらい読んだところに、

頭の上に千キロの重荷を抱えている状態を想像してみなさい。あなたはこのとてつもない重さに苦労し、苦しんでいる。
中略
もしある日あなたが頭を振ったなら、その上に載っていたすべては落ちるだろう。ひとたびもう頭の上に荷物はいらないと決意したなら、あなたがすべきことは、ただそれを床に落とすだけだ。そのために何年も修練する必要はない。

「覚醒の炎―プンジャジの教え」99ページより抜粋

という内容があり、目をつむって、なんとなくイメージしながら実践してみました。

1回目は、特に何もなかったのですが、少しページを読み進めて、今度は今までの見てきたもの、聴いてきたもの、知識や記憶など全てを捨てるイメージで行ってみると、一気にゾーンに入ったかのように、一連の体験がはじまりました。

これはと思った瞬間には、まさに、何もない無と、無から生み出されては消えて行くことの繰り返しの体験の中でした。

実は、この体験の前にYouTubeでパパジ(プンジャジ)の動画を何回も繰り返し見ていました。

その流れで、偶然ネットで私の住んでいる町の大きな書店にこの本があることを知り、導かれるようその書店で本を購入しました。

その書店では、最期の一冊でしたので、それも運命を感じました。

そして、読み始めて2日後にこの体験が起こりました。

もしかしたら、もうこれ以上この本を読むことはないかもしれませんが、すばらしい体験のきかっけをいただいたことに心から感謝しています。

ちなみに、パパジ(プンジャジ)の動画は、ネットで「パパジ」もしくは「プンジャジ」で検索するとたくさん出てきます。

パパジ(プンジャジ)とのやりとりの中で、実際にその場で覚醒体験をした人の動画もありますので、見たことがない人はおすすめです。

本に興味のある方はアマゾンで下記より購入できます。
覚醒の炎―プンジャジの教え
覚醒の炎―プンジャジの教え
ちなみに書店で購入されたい方は、お近くの専門書が豊富にそろっている書店にお問い合わせされてみてくださいね。

上記の本はどちらかと言うと上級者向けだと思いますので、悟りについて分かりやすく理解を深めたい、悟りにつながる具体的な実践方法を知りたいという方は、以下の本がオススメです。
悟りハンドブック ― <私>を思い出すこと、それが悟りです! (覚醒ブックス)

 

体験できる人とできない人の差について

パパジ(プンジャジ)の本にも出てくるのですが、ほとんどの人は、目覚め・悟り・覚醒体験を求めていたとしても、本気でそれを求めている人はごく少数なのだそうです。

どれくらい本気かというと、全てを投げ捨てる覚悟、命がなくなることや死をも恐れない覚悟が必要なようです(もちろん覚醒の道は一人一人違うようですので例外もあると思います)。

実際、私の場合も、目覚め・悟り・覚醒体験をしてみたいとは思っていたのですが、命をかけてまでは願ってこなかったと思います。

それが、このパパジ(プンジャジ)の本を読んで「もう全てを捧げてもいいや」「命がなくなってもいいや」という心境になりました。

そして、その心境のまま本を読み進めて行くと、今回の体験が起こりました。

ですから、もし目覚め・悟り・覚醒体験ができる人と、できない人の差があるとしたら「命をかけるくらい本気で目覚め・悟り・覚醒体験を求めているのか、向き合っているか」かもしれません。

これはある意味で、今までの自分が死んで、本来の自分が目覚めるために必要な条件なのかもしれません。

体験している人はいない?

目覚め・悟り・覚醒体験といいますが、本当は体験とはいえないのかもしれません。

目覚め・悟り・覚醒体験するということは、自分が無くなることでもあります。

つまり、そこに体験する人はいない状態になります。

言い換えると、誰も目覚め・悟り・覚醒体験をすることはできません。

それはただ起こることだからです。

本当は今までもずっと存在していたけれど、自我や自分、思考に隠れて見えなかった、本来の空間が姿を現すこと。

無が目覚め、無が覚醒すること。

無から全てが生まれ、全てが無に還っていくこと。

本来の自分というような人ではなく、無の空間、無のスペース、無という場があらわになるような感じです。

その無に全てがふくまれているそんなイメージです。

目覚め・悟り・覚醒体験は、有限の自分が消えて、その後ろにある無限の無が明らかになることと言えるのかもしれません。

変わらないものへの探求

目に映るもの、聞こえるもの、嗅げるもの、味わえるもの、触れるものは、すべて現れては消えるものです。

つまり、変わり続けるものであり、いずれは必ずなくなるものです。

お金や地位、名声、高級な車や時計、豪邸などの物質や、人間関係、命もそうかもしれません。

人はついこう言った物質的なものや快楽を求めて生きてしまいます。

それが決して悪いことではないのですが、究極的にはいくらそれを得ても満たされることはありません。

むしろ次から次へと求めてしまい、結果的に死ぬまで何かを求め続ける人生になってしまいます。

ですから、現れては消えるものを追い求めるのではなく、その現れては消えるものの基盤であり、普遍的に変わることのない無、つまり目覚め・悟り・覚醒を探究することが、本当の安らぎ、本当の自由、本当の幸せにつながるのかもしれません。

それぞれの道

目覚め・悟り・覚醒体験は、人それぞれそれに至る道は様々だと思います。

ちなみに、私の場合は、自己啓発から入り、引き寄せの法則、悟り、非二元(ノンデュアリティ)、そしてパパジ(プンジャジ)の教えにつながり今回の体験に至りました。

究極的には、目覚め・悟り・覚醒体験はしたいと思ってできるものではないのかもしれません。

それは、今世で目覚め・悟り・覚醒体験をするのかは、すでに決まっていることなのかもしれないからです。

パパジ(プンジャジ)も言われていましたが、人は350万年生まれ変わりの輪廻転生を繰り返している言われています。

きっと何万回も生まれ変わっているはずです。

それは、人以外の昆虫や動物、他の惑星の生物だったこともあると言われています。

そのすべての自分が求めてきたのが、目覚め・悟り・覚醒なのだそうです。

つまり、本来の自己、自分の本当の存在に目覚めることです。

そして、本来の自己、自分の本当の存在に目覚めることで生まれ変わりの輪廻転生は終わりを迎えると言われています。

つまり、今世で本来の自己、自分の本当の存在に目覚めるということは、肉体や物質的なものとして生きるのは、今世が最後になると言えます(輪廻転生についてはいろんな説があると思います。あくまで一例です)。

本当かどうかは実際には分かりませんが、個人的にはそんな感じがしています。

ですから、今世で輪廻転生を終えるべくして生まれてきている人は、目覚め・悟り・覚醒体験をする可能性が高いのではないかと思っています。

目覚め・悟り・覚醒体験をしたからと言って、起こる出来事は何も変わらないのかもしれません。

体験をする前と変わらず、起こることがただ起きているだけ。

きっと人生は限りなくシンプルで、それでいて限りなく無限なものでもあるのだと思います。

目覚め・悟り・覚醒体験も、ただ流れの中で起きただけの過ぎ去っていく出来事なのかもしれません。

ですが、確実に言えることは、目覚め・悟り・覚醒体験をすることで、外側の世界、そして内側の世界では、絶対に見つからない、本当の自由を感じることができるのだと思います。

むしろ自由そのものになると言えるのかもしれません。

そして「私は自由だ」と強く求めることが、目覚め・悟り・覚醒体験のきっかけにつながるのだと思います。

目覚め・悟り・覚醒は、文章で表現できないことだと、聴いてましたがまさにそうだと思います。

言葉を使って、目覚め・悟り・覚醒を差している方角を示すことはできるのですが、目覚め・悟り・覚醒そのものを言葉で表すことはできないと思います。

それは、目覚め・悟り・覚醒は、言葉を超えたその先の次元にあるためです。

愛、自由、幸せ、叡智、空、無、神、大いなる存在、宇宙、内なる自己、本当の自分などとあらわされることもあるかもしれませんが、それもあくまで真理をあらわす標識や矢印のようなものです。

このページも言葉の文字や意味をそのままとらえるのではなく、それが指し示すその先を意識して読んでいただくと、より何かの気づきのきかっけにつながるかもしれません。

当院は、整体院の枠を超えた、身体を通して真理を伝道するサットサンやリトリートのような在り方を追求しています。

 

目覚め・悟り・覚醒の2段階と完全で完璧な自由

目覚め・悟り・覚醒の本質は、全ての存在は「無であり全てである」と自分を超えた何かが思い出すことにあると言えます。

認識のシフトと表現できるかもしれません。

目覚め・悟り・覚醒のメッセージに触れ続けていると、個人個人のペースで自分という幻想の「解体」が進んでいきます。

まるで玉ねぎの薄皮が一枚一枚はがれていくように、深刻さが薄れ、軽やかになっていきます。

そして、ある時、イナズマのように自分という個人が消える「解放」つまり「目覚め・悟り・覚醒」が起こります。

ただ実は、あまり知られていませんが、この目覚め・悟り・覚醒にも2段階あると言えます。

そして、1段階目の目覚め・悟り・覚醒は起きても、2段階目の目覚め・悟り・覚醒までに至っていないケースも少なくないと言えます。

そこで、ここでは、あまり語られることのない目覚め・悟り・覚醒の2段階についてお伝えしていきます。

1段階目「無である」

まず、目覚め・悟り・覚醒の1段階目は、存在の本質が「無である」と自分を超えた何かが思い出すことです。

この段階が「私はいない」と認識している段階だと言えます。

世界には、誰もいないし、何も無いと認識している状態です。

この段階でも、私という個人的なエネルギーが強く存在している状態よりも、かなり軽やかな状態にあります。

ですが、まだどこかで完全に目覚め・悟り・覚醒していない感覚、何か違和感や雑味が残っているような感覚を感じる傾向があります。

それは、まだ目覚め・悟り・覚醒の1段階目であり、50%の目覚め・悟り・覚醒状態だからです。

ですから、片手落ちというか、腑に落ち切らない何かを感じます。

でも、私はいないはずなのに、なぜそう感じるのか分からず、再び私という個人的なエネルギーが強く帰ってきてしまい、目覚め・悟り・覚醒から遠ざかってしまうケースに陥ってしまうパターンも多いです。

この状態から完全な目覚め・悟り・覚醒が起こるために必要なのが「全てである」という認識です。

2段階目「全てである」

目覚め・悟り・覚醒の2段階目は「全てである」と自分を超えた何かが思い出すことです。

つまり、存在の本質は「無であると同時に全てでもある」と思い出すことです。

「無が全てであり、全てが無である」という認識です。

これは表面的に矛盾を含むことになり、言葉ではなかなか表現しにくい部分でもあります。

それは、目覚め・悟り・覚醒の本質は言葉では表現できないものだからです。

ただ言葉で表現してみようと試みることはでき、言葉を超えた部分、エネルギー的な共鳴でその本質を伝えることは可能だと感じています。

そのためには、言葉を受け取る側のタイミングや段階も関係します。

つまり、同じ言葉でも受け取る時の状態によって、解体や解放、目覚め・悟り・覚醒の度合いや認識も変化するということです。

ただ完全に目覚め・悟り・覚醒している状態をあえて言葉で表現するならば「無であると同時に全てでもある」「無が全てであり、全てが無である」となります。

「無全」であり「全無」だと言うことです。

言い換えると「私はいないけれど同時に全てが私である」ということです。

この矛盾・パラドックスの先に本当の目覚め・悟り・覚醒があります。

これは決して頭で理解できるものではなく、頭を超えた何かが思い出すことによって起こり得ます。

言い換えると、理解しようとしている限り、求めている限り、完全な目覚め・悟り・覚醒は隠され続け、永遠にたどり着けないということになります。

「無である」だけでなく同時に「全てである」という認識が起きたとき、目覚め・悟り・覚醒が完成されると言えます。

そして、この完全に目覚め・悟り・覚醒した状態こそが、究極的に求めている本質だと言えます。

認識が起こる前の「完全で完璧な自由」

完全な目覚め・悟り・覚醒を別な言葉で表現すると「認識が起こる前の完全で完璧な自由」だと言えます。

私という認識、思考という認識、感情という認識、概念という認識、感覚という認識、認識そのものの認識・・・

まるで生まれたばかりの赤ちゃんのように、もっと言うと受精卵になる以前の全てとひとつだった頃のように、認識そのものを認識する前、認識そのものが起こる前の状態です。

それは状態とすらも表現できない状態です。

その認識そのものを認識する前、認識そのものが起こる前の状態こそが、完全で完璧な自由だと言えます。

この完全で完璧な自由が完全に目覚め・悟り・覚醒している状態です。

ですから、完全に目覚め・悟り・覚醒すると、完璧に自由になります。

完全に開放的になり、完璧な平和を感じます。

完全な至福を感じ、完璧な愛を感じます。

もっと言うと、自由そのもの、平和そのもの、至福そのもの、愛そのものになります。

なると言うより、還ると表現したほうが近いのかもしれません。

本来の完全で完璧な自由な状態に戻ること、それが認識そのものを認識する前、認識そのものが起こる前であり、完全な解放、つまり完全な目覚め・悟り・覚醒だと言えます。

 

目覚め・悟り・覚醒への最後のひと押し

本当の目覚め・悟り・覚醒とは、究極的なエネルギーのシェアであり、明らかで明白な真実であり、疑う余地のない事実でもあります。

ですが、誤って、誤解して、メッセージを理解してしまい、探求の迷宮に迷い込んでいる人も少なくありません。

そこで、ここでは、本当の目覚め・悟り・覚醒で誤解しやすい、理解しにくい部分、目覚め・悟り・覚醒への最後のひと押しにつながる内容をお伝えさせていただきます。

起きているけど起きていない

目覚め・悟り・覚醒で、誤解されやすい・理解されにくい表現として「起きているけど起きていない」というように、矛盾を含んだ表現だと思います。

「起きているけど起きていない?一体どっちなの?」そんな感じです。

これはニ元の分離した世界では理解できないものでもありますが、できる限り表現することは可能です。

まず前提として「全てしか存在していない」ということが腑に落ちている必要があります。

つまり「私は存在しておらず、全てしか存在していない」ということです。

全てしか存在してないのなら、起きている世界と起きていない世界の両方を含んでいる必要があります。

ところが、二元の分離した世界では、何かと何かを比べる必要があるため、主体と客体が必要になります。

ですから、起こっている世界か、起こっていない世界か、という二つが必要になります。

ですが、非二元の二つ無い世界は、二つ無い全てしか存在していないため「起きているけど起きていない」と表現することになります。

それは、起こっている世界だけでは片手落ちで、起こってない世界も含めることで、はじめて全てを表現することになるためです。

つまり「起きているけど起きていない」=「二つ無い全て」であり、それが分離のない二つ無い「目覚め・悟り・覚醒の世界」だと言えます。

「自己は存在していない」

本当の目覚め・悟り・覚醒に導く最後のひと押しにつながるキッカケがあるとするならば「トニー・パーソンズ」だと思います。

トニー・パーソンズは、妥協なくストレートに本当の目覚め・悟り・覚醒の状態、自己は存在していないという事実を、語っているノンデュアリティスピーカーです。

まるで、イナズマに打たれたかのように、自己を跡形もなく粉々に破壊してしまうそんな存在だと思います。

実際のトニー・パーソンズの言葉をご紹介すると、

「自己というものはまったく存在していません。それに執着するもしないも、自己は存在していないのです」
トニー・パーソンズのインタビュー (2007年)より引用

と言った具合です。

トニー・パーソンズは一貫して「自己は存在していない」ことを何度も伝え続けてくれます。

例えば、悩みがある人が何か質問をしても「そもそも悩める自己は存在していない」というようにバッサリと切られていきます。

一見すると突き放すような感覚を受けますが、これが一番最短ルートで根本的に悩みから解放されるからこそ、ストレートに表現されているのだと思います。

そういう意味では、トニー・パーソンズは深い愛を持って人に接している現れだと言えます。

実際に「自己は存在していない」ということが、自分を超えた何かが腑に落ちると、全ての苦しみから解放されると言っても過言ではないと言えます。

自分や自我が強い人にとっては、トニー・パーソンズはまさに天敵といった感じで、受け入れられないこともあると思います。

ですが、ある程度自分や自我が薄くなってきている人にとっては、自分や自我を吹き飛ばしてくれる革命家のような存在になると思います。

そんな、本当の目覚め・悟り・覚醒への最後のひと押しにつながる、トニー・パーソンズの日本語訳のブログが見れるのが、下記のブログです。

本当の目覚め・悟り・覚醒が起こるタイミングのあなたにとって、本当の目覚め・悟り・覚醒につながるイナズマにつながりますよう願いを込めてご紹介させていただきます。

ヒロさんのブログresonanz360・塩人間の海底探検「トニー・パーソンズの記事一覧」はこちらトニー・パーソンズの記事一覧

 

院長藤原ストーリー「在るとの出逢い」

私は、ものごころついた頃からなんとも言えない不安や違和感のようなものをずっと抱えて生きてきました。

それが何なのか分からないまま、ずっと過ごしてきて、それでもそれなりな毎日を送っていました。

でも、どこかにずっと不安や違和感のようなものがあるのです。

よく育った環境で、性格などが決まると言われていますが、確かにうちの両親もどちらかと言うと心配性で、ふとした時にいつもどこかで何か満たされていないような感覚を感じることがあります。

それが多少の影響はあるかもしれませんが、とにかくいつも不安や違和感、満たされないような感覚が消えることはありませんでした。

そのため、このことについて自分なりにずっと探求してきました。

特に社会人になってからは、自己啓発からはじまり、スピリチュアル、引き寄せの法則、今ここ、悟り、ノンデュアリティ(非ニ元)など、様々な本を読んだり、動画を見たりして、その感覚をなんとかしようとしてきました。

ですが、一時的に楽になったように感じてもまたすぐに不安や違和感の渦に飲み込まれている自分がいました。

それが、最近ある一冊の本との出逢いがあり、今まで学んできたことが点と線でつながり、涙とともに自分の中で何かが消え、その不安や違和感がほとんど解消されていきました。

その本とは「”それ”は在る―ある御方と探求者の対話」という本です。

この本は、この世界の真理、全ての真理が書かれているといっても過言ではないほどの、ものすごい本です。

この本の帯に「人生とはすなわち、<私>とは何か、を知る作業である。それ以外に、無い。」と書かれています。

この言葉の通り「<私>とは何か」を知ることで、今まで抱えてきた、今抱えている、様々な不安や恐怖、苦しみ、悩み、生きづらさ、心や体の症状から本当の意味で解放されることになります。

その「<私>とは何か」を知るためのメッセージがこの本には書かれています。

整体の施術を受けることや生活習慣の改善、生き方を調和させることはとても大事なことです。

ですが、それ以上に大事なこと、何よりも大事なことは「<私>とは何か」を知ること、そしてそれを自分で発見し認識することです。

そうすることで、全てが根底から変わっていきます

例えるなら人生の土台が変わるイメージ、地球のコアが変わるようなイメージです。

今まで長年、心の痛み、生きづらさ、人生に悩んできた私だからこそ、何度も死を意識するほどの苦しみに苦しんできた私だからこそ、同じような悩みを抱えている方に、声を大にしてお伝えしたい部分でもあります。

まずは「<私>とは何か」を知ること、言いかえると「<私>の本当の正体」を思い出すこと、そうすることで、人生や生き方、生きる世界そのものが変わっていきます

そして、心の痛みや生きづらさ、人生の悩み、心や体の症状も、本質的に楽になる、本質的に消えていくことにつながります。

特に「在る」という言葉に惹かれる人、「あるがまま」という言葉に惹かれる人は、この本を読む準備ができている人なのかもしれません。

本気で人生を変えたい方、本気で自分を変えたい方、本気で苦しみから解放されたい方に、オススメの一冊です。

当院は整体とカウンセリング、在り方そのものを通して、この「<私>とは何か」という真理を「あるがままただ在る」という真理を、伝道していく場所です。

ピンときた方は、下記のリンクから本の詳細が見れます↓

“それ”は在る―ある御方と探求者の対話 (覚醒ブックス)

悟り・非二元・ノンデュアリティスピーカー ふじわらゆう

当院の院長は「悟り・非二元・ノンデュアリティスピーカー ふじわらゆう」として、分離の無い、苦しみの無い、もうひとつの世界の可能性をシェアする活動を行っています。

健康・人間関係・お金などの悩みや問題、人生の苦しみや生きづらさは、分離の世界を生きていることで発生します。

当たり前に感じている私が存在している「分離した世界」ではなく、もうひとつの私のいない「分離の無い世界」の可能性をお伝えしています。

分離から解放されることが、苦しみから解放されることです。

そして、分離から解放されることが、本当の幸せを生きることにつながります。

そのキッカケになる唯一無二の道が、目覚め・悟り・覚醒である「非二元・ノンデュアリティ」です。

最後にこのメッセージをシェアさせていただきます。

「すでにそれ」

すでにそれ

悟る必要なんてない

すでにそれ

目覚める必要なんてない

すでにそれ

覚醒する必要なんてない

すでにそれ

探求する必要なんてない

すでにそれ

何もする必要なんてない

すでにそれ

もうすでにそれ

 

このページが、目覚め・悟り・覚醒に興味のあるあなた、真理を探求する探求者のあなた、苦しみから解放されたいあなた、本当の意味で幸せになりたいあなたにとって、何か少しでも参考になりましたら幸いです。

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目覚め・悟り・覚醒セッション

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松山市の自律神経メンタル専門心療整体院 健優館 院長 藤原優
自律神経失調症,めまい,耳鳴り,不眠,頭痛,動悸,更年期,うつ,パニック,恐怖症,不安症,過敏症,依存症,発達障害,生きづらさなど専門家の私にお任せ下さい。当院では「消毒・換気・予防」のコロナウイルス対策を徹底し通常通り営業しています。当院では対面の施術だけでなくオンラインでのカウンセリングLINEやメールでのカウンセリングも行っています。
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