あなたは「非二元(ノンデュアリティ)」に興味があったり、「苦しみ・不安・生きづらさ」などでお悩みではありませんか?
生きている限り、人間関係やお金、健康、心など、何かしらの苦しみや不安、生きづらさを抱えている方も多いと思います。
なんとか苦しみや不安、生きづらさを解消したくて、一生懸命仕事をしたり、苦しみながらも毎日自分なりに精一杯生きているという方もおられると思います。
そして、根本的に消えない、苦しみや不安、生きづらさに押しつぶされそうになり、一人で苦しみもがいている方もおられると思います。
そんな方の苦しみからの究極的な解放につながるのが「非二元(ノンデュアリティ)」です。
そこで、このページでは苦しみや不安、生きづらさから解放されるための「非二元(ノンデュアリティ)苦しみからの解放」と題して、悟り・非二元・ノンデュアリティスピーカーでもある院長が、非二元(ノンデュアリティ)に興味のあるあなた、苦しみや不安、生きづらさでお悩みのあなたにお役立ちできる情報をお伝えしていきます。
あなたが少しでもホッと安心するキッカケにつながりましたら幸いです。
◆「【非二元・ノンデュアリティ】とは二つないもう一つの世界」について解説した動画はこちら↓(音が出ますのでご注意ください)
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目次
非二元(ノンデュアリティ)とは
このページをご覧の方は、非二元(ノンデュアリティ)という言葉を聞いたことがあるという人や、全く知らないという方もおられると思います。
非二元(ノンデュアリティ)は、もともとサンスクリット語であるアドヴァイタ(二つではない)を日本語に訳した言葉です。
英語では、Non Duality(ノン・デュアリティー、二つではない)と訳されています。
非二元(ノンデュアリティ)は、簡単に表現すると「二つではない」という意味です。
みなさんが生きている現実の世界は「ニ元の世界」と言われ、必ず2つでワンセットの世界になっています。
例えば、光と影、太陽と月、表と裏、白と黒、陰と陽、幸せと不幸、生と死、不安と安心、苦しみと喜びなどです。
つまり、人生、良いこともあれば悪いこともあるといったイメージです。
そして、他人と自分や、何かと何かを比較・判断する世界でもあります。
ですから、このニ元の世界で生きている限り、根本的に不安や苦しみから解放されることはありません。
それは不安と安心、苦しみと喜びはワンセットだからです。
このニ元の世界から解放される、もうひとつの世界が「非二元(ノンデュアリティ)」の世界です。
苦しみの真の原因について
苦しみの真の原因は、この現実世界そのもの、つまりニ元の世界にあります。
それは、この世界そのものが、そういう構造をしているためです。
上でも少し触れましたが、苦しみと喜びはワンセットです。
つまり、喜びがある限り、苦しみはなくならないと言えます。
言いかえると、苦しみがあるから、喜びを感じることができます。
喜びばかりだと、それが喜びかどうかすら気づくことができないからです。
そして、この現実世界はそれを体験するために存在しています。
確かに、苦しみを一時的に和らげる方法は、探せばいくらでもあります。
ですが、それはこのニ元の世界での方法や出来事のため、本当の意味で苦しみを解消することはできません。
ですから、苦しみを本当に解放するためには、この現実世界が幻の世界であることに気づく必要があります。
現実は幻のストーリー?
あなたは、もし今自分が生きている世界が幻だと言われたら、どう感じるでしょうか。
「幻?そんなわけがない」「今もこうして生きている感覚を感じている」「お腹もすくし痛みも感じるこの世界はリアルそのものだ」と思われた方もおられると思います。
確かに普通はそのように感じるのが当たり前です。
ですが、それもこのニ元の現実が感じさせているマジックでもあります。
あなたがなぜ、この世界が幻ではないと感じるのかと言うと、それは自分(思考)が自分だと思い込んで生きているからです。
言い変えると、自我やエゴといった思考に乗っ取られて生きている状態と言えます。
そして、本当のあなたが隠されて見えなくなってしまっている状態です。
つまり、この現実の世界は、ニセモノのあなたである思考が創りだしているイリュージョンの世界、幻のストーリーだと言えます。
自分はいないについて
実は、究極的に言うと「自分は存在していません」。
「え?そんなわけない」「思考がニセの自分で本当の自分は存在していないなんて意味が分からない」「じゃあこの感覚や意識は何なの?」と思われた方もいらっしゃると思います。
例えば、もしあなたがまわりに鏡やガラスなど、自分の顔が確認できるものが一切ない世界で生きているとしたらどうでしょうか。
自分の顔がどんな顔か分からず、自分と他との違いを明確に認識できない状態になりますよね。
例えば、あなたが何らかの出来事により、記憶喪失になったらどうでしょうか。
あなたの過去の記憶は全て消え、自分の名前や顔、年齢や性別、家族や友人、好きなものや嫌いなもの、仕事や学校、住所や電話番号、今が何年何月何日かなど、全てが分からなくなり、自分が誰なのかもわからない状態になりますよね。
例えば、まだ名前もついていない生まれたての赤ちゃんは、何者でもないただの純粋な命そのものだと言えます。
つまり、今のあなただと思っている存在は、今までの過去の記憶により創りあげられた、思い込みや勘違いだと言えます。
それは、あなたの記憶がなくなれば、あなたという存在そのものを明確に表現する基準がなくなるからです。
そして、この過去や記憶、さらに未来も、思考が創りだした幻の世界です。
つまり、過去や記憶、未来もないなら、今の自分というキャラクターは幻の存在になり、自分はいないと言えます。
現実は分離を埋めるためにある
この現実は、分離を埋めるためにある世界だとも言えます。
そして、その分離という感覚そのものが思い込みで勘違いでもあります。
分離とは不足や足りない感覚とも言えます。
例えば、幸せになることを目指してるのは、自分が幸せじゃないと思っているから。
例えば、結婚したいと思うのは、一人で生きることは寂しいことだと思っているから。
例えば、お金持ちになりたいのは、お金が足りないと思っているから。
例えば、旅行に生きたいのは、ここではないどこかへ行くべきところがあると思っているから。
例えば、安心を求めるのは、この世界が不安だと思っているから。
例えば、死にたくないと思うのは、命には限りがあると思っているから。
これら全ては、自分は足りない、不足しているという、不安や恐怖から発生しています。
そして、その不安や恐怖の大元は、自分は分離している存在だと思い込んでいることにあります。
つまり、自分という個人が存在し、みんな個人個人がバラバラに生きていると、勘違いしていることと言えます。
この分離は全て、自分(思考や自我、エゴ)の思い込みや勘違いで、本当は自分は存在していないため、そもそも分離することができず、全てはひとつの存在でもあります。
それを忘れてしまっているため、様々な葛藤や苦しみが生まれてしまいます。
苦しみからの究極的な解放
自分がいないと言われてもピンとこない人、自分がいないなら生きることに意味が見出せなくなる人、自分がいないなら今までの人生や努力はなんだったんだと思われる方もいらっしゃると思います。
ですが、ご安心ください。
実は「自分がいない」ことは、苦しみからの究極の解放につながります。
それは、全ての苦しみは自分がいるから発生することだからです。
例えば、悲しい出来事があった時、それが自分に起こったと思うから悲しくなります。
例えば、辛い出来事があった時、それが自分に起こったと思うから辛くなります。
例えば、苦しい出来事があった時、それが自分に起こったと思うから苦しくなります。
ところが、自分がいないとどうなるでしょうか。
悲しい出来事があった時、自分いなければ、悲しみを感じる存在そのものがいないため、ただ悲しい出来事が起こるだけ。
辛い出来事があった時、自分いなければ、辛さを感じる存在そのものがいないため、ただ辛い出来事が起こるだけ。
苦しい出来事があった時、自分いなければ、苦しみを感じる存在そのものがいないため、ただ苦しい出来事が起こるだけ。
もっというと悲しさや辛さ、苦しさを感じる存在そのものがいないということは、その出来事が悲しいのか辛いのか、苦しいのかも分からない、つまりただ出来事が起こるだけの状態になります。
そうです、実は本来、全ての出来事には何の意味もなく、ただそこに自分という存在が発生し、自分の感覚や感情といったフィルターを通すことで、出来事に意味が生まれます。
つまり、出来事は、起こるままに起こってるだけと言えます。
ですから、自分がいないいうことは、悲しさや辛さ、苦しさというものも存在できなくなります。
つまり、自分がいないということは、究極的な苦しみからの解放につながると言えます。
何も無いし、何も起こっていない
自分がいないということは、究極的に言うと、何も無い、何も存在していないと言えます。
この世界は、全てが夢で、全てが無でもあります。
現実の世界という夢から覚めて、無という何もない世界に還る。
この無の世界というのは、時間も空間もなく、まさに無の世界です。
そして、無というのは、何もないとも表現できますし、全てがあるとも表現できます。
つまり、無限の世界でもあります。
無という無限だけがある、その瞬間、そこだけがある、いまここの世界です。
この世界は、いまここに、ただ起こることが起こる世界であり、本当は何も起きていない世界でもあります。
現実の世界は有限ですが、この無の世界は無限の世界です。
そして、この現実の世界という夢から覚めて、無という無限であり、何もない世界に還ることが、苦しさの根本的な解放につながります。
非二元でニ元の世界を生きる
「自分がいなくなると、苦しみから解放されるのはなんとなく理解できた。でも自分がいなくなったら喜びや幸せも感じることができなくなるのではないか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
確かにそのように表現することもできると思います。
ですが、「自分がいない」と気づいても、世界がガラッと変わるわけではなく、今までと同じ、不安や悲しみ、苦しみ、安心や喜び、幸せを感じる世界を生きて行くことになります。
そうです、例え「自分がいない」と気づいても今までと同じ世界が同じように展開されていきます。
なぜなら、それも全て起こっていることだからです。
ですが、決定的に違うのは、自分がいないことに気づいて、この世界を生きるため、不安や悲しみ、苦しみに必要以上に振り回されなくなります。
感情と同化し、その感情の渦の中をぐるぐる生きていた今までと違い、感情に囚われない状態になります。
非二元の意識でニ元の世界を生きることができる、つまり起こることがただ起こる世界、抵抗や緊張、苦しみのないスムーズな世界、無償で無限の愛に包まれ命が輝く世界を生きることにつながります。
あなたは命、全ても命
実は、あなたが「自分はいない」と気づいていない時も、生まれてから今までも、全ての出来事がただ起こっているだけでした。
起きることが起こってるだけでした。
ただ、それをあなたという思考や自我、エゴが自分がそれをやったと思い込んだり、勘違いしてきただけなのです。
つまり、あなたが生きてきたのではなく、あなたは生きかされてきた、言いかえるとただ命が生きていただけと言えます。
実は、どこにもあなたは存在せず、命の表れとしてあなたが表現されていただけとも言えます。
これは、この世界に存在する、生き物やモノ、自然、思考や感情、全てに共通して言えることでもあります。
つまり、あなたは命であり、すべては命である。
さらに、あなたは全てであると言えます。
大好きなあの人も、大嫌いなあの人も、苦しい感情も、嬉しい感情も、浮かんでくる思考も、この地球という惑星も、全てはあなたで、全ては命です。
言い換えると、命のダンスを、この世界の全てが表現していると言えます。
全ては命のアートで、そのひとつひとつがアートの一部だと言えます。
つまり、本当は孤独な人は一人もいなくて、いつも全てがつながっている状態です。
どこにも分離なんて存在してなくて、その分離を解消しようとする必要すらなかった。
何かを達成する必要もなければ、どこか遠くに行く必要もない。
いつか幸せな未来にたどり着くことも、過去の後悔に苦しむ必要もない。
最初から、全ては完璧で、無限で、無垢で、無償の愛に包まれていた。
そのことに気づけたとき、あなたの命が、あなたを超えて輝きはじめます。
それは、あなた本来の輝きとも言えます。
命の輝きは誰にも止めることはできません。
そして、それは今も今までも、これからも永遠に輝き続けます。
あなたは、そのままで大丈夫です。
あなたは、そのままで完璧です。
そのままのあなたこそが、命そのものなのですから。
この文章は、思考で理解する文章ではなく、思考を越えた部分で感じる文章です。
それは、思考で理解しようとしたり、思考で理解すること自体が、思考の世界の出来事だからです。
これは、思考の世界を越えた、もうひとつの至高の世界の話でもあります。
そして、誰もがどこかで感じている世界、思い出す世界とも言えます。
文字や文章の意味を理解しようとするのではなく、その文字や文章が指し示すその先に気づくことが大切です。
考えるのではなく、エネルギーを感じるとも言えるかもしれません。
もしここに書いてあることが理解できなかったり、ピンとこなくても大丈夫です。
逆になんだかわからないけど安心したり、ワクワクしたりする方もおられるかもしれません。
それすらも、起こることが起きているだけ、命の表れです。
その命のダンスに完全にゆだねることが、本当の意味で苦しみから解放されることにつながります。
解放の2段階と完全で完璧な自由
非二元(ノンデュアリティ)の本質は、全ての存在は「無であり全てである」と自分を超えた何かが思い出すことにあると言えます。
認識のシフトと表現できるかもしれません。
非二元(ノンデュアリティ)のメッセージに触れ続けていると、個人個人のペースで自分という幻想の「解体」が進んでいきます。
まるで玉ねぎの薄皮が一枚一枚はがれていくように、深刻さが薄れ、軽やかになっていきます。
そして、ある時、イナズマのように自分という個人が消える「解放」が起こります。
ただ実は、あまり知られていませんが、この解放にも2段階あると言えます。
そして、1段階目の解放は起きても、2段階目の解放までに至っていないケースも少なくないと言えます。
そこで、ここでは、あまり語られることのない解放の2段階についてお伝えしていきます。
解放の1段階目「無である」
まず、解放の1段階目は、存在の本質が「無である」と自分を超えた何かが思い出すことです。
この段階が「私はいない」と認識している段階だと言えます。
世界には、誰もいないし、何も無いと認識している状態です。
この段階でも、私という個人的なエネルギーが強く存在している状態よりも、かなり軽やかな状態にあります。
ですが、まだどこかで完全に解放していない感覚、何か違和感や雑味が残っているような感覚を感じる傾向があります。
それは、まだ解放の1段階目であり、50%の解放状態だからです。
ですから、片手落ちというか、腑に落ち切らない何かを感じます。
でも、私はいないはずなのに、なぜそう感じるのか分からず、再び私という個人的なエネルギーが強く帰ってきてしまい、解放から遠ざかってしまうケースに陥ってしまうパターンも多いです。
この状態から完全な解放が起こるために必要なのが「全てである」という認識です。
解放の2段階目「全てである」
解放の2段階目は「全てである」と自分を超えた何かが思い出すことです。
つまり、存在の本質は「無であると同時に全てでもある」と思い出すことです。
「無が全てであり、全てが無である」という認識です。
これは表面的に矛盾を含むことになり、言葉ではなかなか表現しにくい部分でもあります。
それは、解放の本質は言葉では表現できないものだからです。
ただ言葉で表現してみようと試みることはでき、言葉を超えた部分、エネルギー的な共鳴でその本質を伝えることは可能だと感じています。
そのためには、言葉を受け取る側のタイミングや段階も関係します。
つまり、同じ言葉でも受け取る時の状態によって、解体や解放の度合いや認識も変化するということです。
ただ完全に解放している状態をあえて言葉で表現するならば「無であると同時に全てでもある」「無が全てであり、全てが無である」となります。
「無全」であり「全無」だと言うことです。
言い換えると「私はいないけれど同時に全てが私である」ということです。
この矛盾・パラドックスの先に本当の解放があります。
これは決して頭で理解できるものではなく、頭を超えた何かが思い出すことによって起こり得ます。
言い換えると、理解しようとしている限り、求めている限り、完全な解放は隠され続け、永遠にたどり着けないということになります。
「無である」だけでなく同時に「全てである」という認識が起きたとき、解放が完成されると言えます。
そして、この完全に解放した状態こそが、究極的に求めている本質だと言えます。
認識が起こる前の「完全で完璧な自由」
完全な解放を別な言葉で表現すると「認識が起こる前の完全で完璧な自由」だと言えます。
私という認識、思考という認識、感情という認識、概念という認識、感覚という認識、認識そのものの認識・・・
まるで生まれたばかりの赤ちゃんのように、もっと言うと受精卵になる以前の全てとひとつだった頃のように、認識そのものを認識する前、認識そのものが起こる前の状態です。
それは状態とすらも表現できない状態です。
その認識そのものを認識する前、認識そのものが起こる前の状態こそが、完全で完璧な自由だと言えます。
この完全で完璧な自由が完全に解放している状態です。
ですから、完全に解放すると、完璧に自由になります。
完全に開放的になり、完璧な平和を感じます。
完全な至福を感じ、完璧な愛を感じます。
もっと言うと、自由そのもの、平和そのもの、至福そのもの、愛そのものになります。
なると言うより、還ると表現したほうが近いのかもしれません。
本来の完全で完璧な自由な状態に戻ること、それが認識そのものを認識する前、認識そのものが起こる前であり、完全な解放だと言えます。
非二元(ノンデュアリティ)解放への最後のひと押し
非二元(ノンデュアリティ)は、究極的なメッセージであり、明らかで明白な真実であり、疑う余地のない事実でもあります。
ですが、誤って、誤解して、メッセージを理解してしまい、探求の迷宮に迷い込んでいる人も少なくありません。
そこで、ここでは、非二元(ノンデュアリティ)で誤解しやすい、理解しにくい部分、解放への最後のひと押しにつながる内容をお伝えさせていただきます。
起きているけど起きていない
非ニ元(ノンデュアリティ)で、誤解されやすい・理解されにくい表現として「起きているけど起きていない」というように、矛盾を含んだ表現だと思います。
「起きているけど起きていない?一体どっちなの?」そんな感じです。
これはニ元の分離した世界では理解できないものでもありますが、できる限り表現することは可能です。
まず前提として「全てしか存在していない」ということが腑に落ちている必要があります。
つまり「私は存在しておらず、全てしか存在していない」ということです。
全てしか存在してないのなら、起きている世界と起きていない世界の両方を含んでいる必要があります。
ところが、二元の分離した世界では、何かと何かを比べる必要があるため、主体と客体が必要になります。
ですから、起こっている世界か、起こっていない世界か、という二つが必要になります。
ですが、非二元の二つ無い世界は、二つ無い全てしか存在していないため「起きているけど起きていない」と表現することになります。
それは、起こっている世界だけでは片手落ちで、起こってない世界も含めることで、はじめて全てを表現することになるためです。
つまり「起きているけど起きていない」=「二つ無い全て」であり、それが分離のない二つ無い「非ニ元(ノンデュアリティ)の世界」だと言えます。
「自己は存在していない」
解放に導く最後のひと押しにつながるキッカケがあるとするならば「自己は存在していない」というストレートでダイレクトなメッセージだと思います。
特にそんなメッセージを発信しているのが「トニー・パーソンズ」です。
トニー・パーソンズは、妥協なくストレートに解放の状態、自己は存在していないという事実を、語っているノンデュアリティスピーカーです。
まるで、イナズマに打たれたかのように、自己を跡形もなく粉々に破壊してしまうそんな存在だと思います。
実際のトニー・パーソンズの言葉をご紹介すると、
「自己というものはまったく存在していません。それに執着するもしないも、自己は存在していないのです」
トニー・パーソンズのインタビュー (2007年)より引用
と言った具合です。
トニー・パーソンズは一貫して「自己は存在していない」ことを何度も伝え続けてくれます。
例えば、悩みがある人が何か質問をしても「そもそも悩める自己は存在していない」というようにバッサリと切られていきます。
一見すると突き放すような感覚を受けますが、これが一番最短ルートで根本的に悩みから解放されるからこそ、ストレートに表現されているのだと思います。
そういう意味では、トニー・パーソンズは深い愛を持って人に接している現れだと言えます。
実際に「自己は存在していない」ということが、自分を超えた何かが腑に落ちると、全ての苦しみから解放されると言っても過言ではないと言えます。
自分や自我が強い人にとっては、トニー・パーソンズはまさに天敵といった感じで、受け入れられないこともあると思います。
ですが、ある程度自分や自我が薄くなってきている人にとっては、自分や自我を吹き飛ばしてくれる革命家のような存在になると思います。
「自己は存在していない」というシンプルでストレートでダイレクトなメッセージが、イナズマのように自己を消し去り、解放への後押しにつながっていきます。
非二元(ノンデュアリティ)Q&A
ここでは「非二元(ノンデュアリティ)のQ&A」についてお伝えしていきます。
非二元(ノンデュアリティ)で、疑問に感じることや、理解しづらいこと、陥りがちな勘違い、質問や相談などについて、その答えをまとめています。
非二元(ノンデュアリティ)が、エネルギー的に浸透し、解放につながるキッカケに少しでもつながりましたら幸いです。
非二元・ノンデュアリティとは何ですか?
非二元・ノンデュアリティとは、「自己が存在しない、苦しみのない、もうひとつの世界」の可能性をお知らせするものです。
当たり前に自分が存在している世界は、自分という中心、守るべき自分が存在するため、常に葛藤や苦しみが付きまといます。
ですから、本当の意味で、葛藤や苦しみ、生きづらさから解放されるためには、「自己が存在しない、苦しみのない、もうひとつの世界」である、非二元・ノンデュアリティの世界を生きる必要があります。
自分という中心、私という個人が存在することで、覆い隠されているもうひとつの世界、それが非二元・ノンデュアリティです。
そして、誰もがどこかで求めている究極が、非二元・ノンデュアリティです。
私はいないとはどういうことですか?
非二元・ノンデュアリティで、よく聞く言葉が「私はいない」という言葉かもしれません。
確かに「私はいない」と言われると、「じゃあ今感じている私は何なの?」「この私って誰なの?」「私がいないわけがない」そんな風に感じる方もおられると思います。
これはある意味で当然の反応であり、私がいるのが当たり前の世界を生きている限り、「私はいない」と言われると、違和感や反論したくなるものです。
非二元・ノンデュアリティとは、この当たり前に感じている「私」がいない世界、もうひとつの世界の可能性をお知らせするものです。
私がいることで、私を守るために、苦しみが発生する世界から、私がいないことで、私を守る必要がなくなり、苦しみが存在しない世界への招待状のようなものです。
私がいる限り、苦しみは続いていきます
私がいなくなると、苦しみは消えていきます。
つまり、私が苦しみなのです。
私がいない苦しみのない世界、それが非二元・ノンデュアリティです。
非二元・ノンデュアリティを一言で表すと何ですか?
非二元・ノンデュアリティを一言で表すと「wow…(ワオ・・・)」だと思います。
全てが全体の表現・存在の表現であり、そのあまりに圧倒的で壮大なスケール、同時に究極的にミクロなスケール、その全てがすごすぎて、wow…(ワオ・・・)が、止まらないそんなイメージです。
ちなみに、どんな感じの「wow…(ワオ・・・)」かと言うと、このUSJのCM動画の最後のワオのようなイメージです。
こんな感じの「wow…(ワオ・・・)」がUSJに行かなくても、今すぐ目の前で起こり続けるそんなイメージです。
例えるなら、あなたも私も、車も家も、虫も牛も、地球も宇宙も、阿部総理もイチローも、インド人もロシア人も、髪の毛の一本一本も、細胞のひとつひとつも、空っぽのエネルギーも、全てが同じ全体の現れ・存在の現れなのです。
全てが同時に現れていて、全体・存在はどんなスーパーコンピューターも敵わないほど全てを凌駕し超越した存在であること。
この宇宙には誰も存在していなくて、本当は苦しんでいる誰かも存在していなくて、ただ全体・存在が無秩序に表現をしているだけであること。
ただ起こることが淡々と起こっているだけ、そして同時に何も起こっていないこと。
今まで当たり前だと思っていたことが、どれほどにすさまじく、素晴らしく、ミラクルであるかということ。
その全てに圧倒され「wow…(ワオ・・・)」が止まらなくなる・・・。
それが、非二元・ノンデュアリティです。
分離はなぜ起こっているのですか?
分離がなぜ起こっているのかは、誰も知り得ません。
それは、この世界には「なぜ」を知ることができる誰かも、「なぜ」を問いかけることができる誰かも存在しないからです。
ただ表面的に、分離は存在し、知ることができる誰か、質問をすることができる誰か、答えることができる誰かがいるように感じます。
なぜなら、それすらも、全体の表現だからです。
全体は無限で何としてでも現れます。
つまり、分離としても現れるということです。
表面的なストーリーから見ると、赤ちゃんとして生まれて、脳が発達する過程で、生命体として生き残るために「自分」という感覚が発生すると言われています。
そして、自分という感覚が当たり前の親や大人に育てられることで、自分という分離した個人の存在が確固たるもの、確実なものになっていきます。
人間は他の動物と比べ、脳が発達しています。
それは糖質を定期的に大量に摂取できる環境にあるからだと言えます。
つまり、脳が発達し、脳が自分という分離を創りだし、今度はその分離により苦しみを体験している、それが人間だと言えます。
その証拠に、人間以外の生物には、自分という分離がないため、苦しむ自分という中心が無く、苦しみを自分のものにできる誰かは存在しません。
そのことから、人間は進化しているようで、全体の視点から見ると、分離という退化をしているとも言えます。
ただこれら全ては表面的なストーリーであり、本当はただ全体が存在が分離した個人として現れているだけでもあります。
全体・存在は「未知」です。
次に何が起こるのか、なぜそれが起こっているのかは、全く知り得ません。
知り得る分離した誰かがいないのはもちろんですが、知り得ない未知こそが、全体であり、存在だからです。
全ては、全体・存在の表現であり、無秩序に無意味に起こっていることです。
そして、同時に何も起きていない。
未知であり、矛盾であり、全てである、それが非二元・ノンデュアリティです。
解放とはどういう状態ですか?
解放とは、私という個人が無に還り、同時に全てとして表現されている状態です。
厳密に言うと、状態とも言えない状態です。
つまり、悟りや目覚め、覚醒を経験した誰かがいなくなる、それをもう一度体験したくて探し求める誰かがいなくなる、苦しみを感じている誰かがいなくなる、自分を幸せにしようとする誰かがいなくなる、誰もいなくなった状態です。
世界に、宇宙に、誰もいなくなった状態です。
元々、分離して存在している個人は、存在していなかった。
全体だけが存在しているだけで、分離して存在できる何かは、存在し得ないこと。
分離は不可能であり、私や自分は存在し得ない存在だということ。
ただ表面的にそのように現れているだけで、本当は存在しないこと。
その表面的な現れすら、全体の表現であること。
解放とは、分離そのものから解放されること、概念そのものから解放されること、全てから解放されることです。
そして、本当は解放すら存在しない、解放される誰かや何かも存在しない、それが非二元・ノンデュアリティです。
私がいなくなる前と後では何が違いますか?
表面的には、何も変わりません。
ただ、内面的な深刻さが消え、軽やかさが生まれます。
気楽に生きられるようになります。
例えるなら、赤ちゃんや小さい子供のようなイメージで、目の前の今を全力で楽しむことができるようになります。
ただ、本当は誰でもその状態です。
私という深刻さのベールが、軽やかな子どものような状態を隠してしまっているだけです。
私がいなくなることは、カーテンを開け朝日を全身に浴びるようなイメージです。
朝日は常にそこにありますが、カーテンで覆い隠してしまっているだけなのです。
私がいなくなることは、カーテンを開けるように、当たり前に起こりうることであり、それが本来の自然な状態そのものです。
私がいなくなることに恐怖や不安を感じてしまうのですが・・・
私がいなくなることに恐怖や不安を感じてしまうのは当然のことでもあります。
私がいなくなる=死を連想してしまったり、自分が自分でなくなってしまう、仕事や人間関係など今までの状態が失われてしまうように感じてしまうからです。
ですが、安心して下さい。
今までも、私がいなくなってからも、何も変わらないからです。
そもそも私は存在していませんし、今まで一度も存在したことはありません。
表面的に私がいるように感じているだけで、本当は私は存在していないのです。
ですから、死ぬもなにも、死ねる誰かはいませんし、そもそも誰も生まれていませんし、誰も生きてもいません。
この宇宙には、誰もいないのです。
自分が自分でなくなる前に、そもそも自分が存在しません。
つまり、なくなれる自分がそもそも存在してないのです。
仕事をしている誰かもいませんし、誰もいないため人間関係も生まれようがありません。
何かを失える誰かも存在しませんし、そもそも何かを得られる誰かも存在しません。
恐怖を感じている誰かもいませんし、不安を感じている誰かもいません。
全ては表面的にそのように現れているだけで、本当は誰も存在していません。
起こることが淡々と起こっているだけ。
そして、同時に何も起こっていない。
この私を超えたパラドックスが、非二元・ノンデュアリティのメッセージが指し示している、もうひとつの世界です。
悟り・非二元・ノンデュアリティスピーカー ふじわらゆう
当院の院長は「悟り・非二元・ノンデュアリティスピーカー ふじわらゆう」として、分離の無い、苦しみの無い、もうひとつの世界の可能性をシェアする活動を行っています。
健康・人間関係・お金などの悩みや問題、人生の苦しみや生きづらさは、分離の世界を生きていることで発生します。
当たり前に感じている私が存在している「分離した世界」ではなく、もうひとつの私のいない「分離の無い世界」の可能性をお伝えしています。
分離から解放されることが、苦しみから解放されることです。
そして、分離から解放されることが、本当の幸せを生きることにつながります。
そのキッカケになる唯一無二の道が「悟り・非二元・ノンデュアリティ」です。
最後にこのメッセージをシェアさせていただきます。
「すでにそれ」
すでにそれ
悟る必要なんてない
すでにそれ
目覚める必要なんてない
すでにそれ
覚醒する必要なんてない
すでにそれ
探求する必要なんてない
すでにそれ
何もする必要なんてない
すでにそれ
もうすでにそれ
このページが、非ニ元やノンデュアリティ、悟りに興味のあるあなた、苦しみから解放されたいあなた、本当の意味で幸せになりたいあなたにとって、何か少しでも参考になりましたら幸いです。
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非ニ元(ノンデュアリティ)セッション
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